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複雑で専門的な科学技術政策という課題について、市民社会は、何を、どのように考えれば良いのでしょうか?
研究所に寄せられたそんな要望に答えるため、一つの方法として、テーマごとに「テキスト」を紹介していくことにしました。但しいわゆる教科書のような形式はとりません。文系、理系に関わりなく、自由に自分の問題として考えるきっかけになる読み物と考えてください。
はじめに
科学技術やその政策の市民への影響を考える研究所―ポラリスは、東京は新宿に近い文系の男女学生が集う私立大学のキャンパス内にある。都会に揉まれ科学に翻弄される現代の若者達。このシリーズは、科学に馴染みのない―けれど興味はある―若い学生や社会人を対象に語る。
突っ掛けものの人もたれ (前編)
1.
世の中は相変わらず、無責任なテレビやツイッターなどのメディアに振り舞わされる毎日だ。自分自身は、専門分野を超えた課題を短絡的・断定的に、しかも社会的に堂々と語ることにはかなり強い躊躇がある。けれどもメディアの「教養人」[1]はそうでもないようで、彼らは必死に話題のテーマを探し、現実社会はそっちのけで自己アピールに励んでいる。 2021年の今、彼らの話題はもちろん新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症(COVID-19) だ。2019年末に中国で初めて確認されたこのウイルスは急速に広がり、数カ月後には世界保険機関(WHO)によりパンデミック(世界的な大流行)と判断されている。2021年2月末現在、感染者は1.1億人、うち死者245万人を超えた事態となっており、いまだ収束の見込みはない[2]。
ウイルスは、私達すなわち生物のような細胞を持たない(その定義に従えばウイルスは生物ではない)。動物や植物などの宿主に寄生することでしか、自身のデオキシリボ核酸(DNA) もしくはリボ核酸(RNA)を増殖させることができない。そして宿主はそれによって多くの影響を受ける。
一見、新型コロナウイルス感染症問題は世界の保健事情に関する問題に見える。しかし実は、原子力政策やAIなど先端技術の場合と同様、科学技術と市民社会の課題を暗示している。
2.
中国は2020年1月には早くも武漢市で都市封鎖(ロックダウン)を行い、2月には、政府によって濃厚接触者を判定可能できるというアプリを「開発」している[3]。政府自身が恣意的に定義可能な「濃厚接触者」について国民のID、名前と移動経路を特定するもので、民主主義的にはプライバシーの視点から非常に議論がある手法である[4]。しかしこれらが功を奏してか、真偽の程はあるものの、4月には感染拡大が抑えられ、死者がゼロになったとされている[5]。
台湾は全く別のアプローチをとった。もともとこの国は、2003年の中国を起源とし集団発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)を経験し、感染症対策には敏感だったとされている。政府は、いまや日本で有名人となったデジタル担当相のオードリー・タン氏や市民ハッカー集団のガブゼロ(g0v)[6]を中心に、 2020年2月、薬局等のマスクの在庫データを明らかにして保険証で購入するシステムを短期間で実践した[7]。プライバシーへの配慮はもちろん流通システムの情報も必要であるが、社会的な混乱を防いで成功している。さらにIT技術を駆使した医療インフラもあり、現在、国内感染者がほぼゼロという状況が長期間続いている。
そして「科学技術立国」をうたう日本だが、2020年4月に政府は、後に安倍マスクと揶揄される小さな布マスクを、科学的・経済的根拠、政策的妥当性を示さないままに配布し世間の失笑を買った。ようやく同年6月、感染者と接触した可能性を通知するアプリCOCOAを導入したが、その成果は芳しく無いどころか、技術的な不具合の放置問題や受注業者の不透明な動きが判明するなど、これもまた「日本らしい」状況に陥っている。
なおこのCOCOAは電話番号や位置情報などを記録せず、接触の情報のみを記録するとされているが、同年10月の調査では、プライバシーに関する市民の懸念が強いとされている[8]。国内においてこれまでプライバシー問題といえば、いわゆる「教養人」たちによる国民保護法案の反対運動があったが、COCOA関連では社会的な発言はなく、科学技術的無知もあるのか一貫性がみられない。しかしプログラミングをする人はわかると思うが、情報を管理する側にとってみれば、情報の制限と公開を任意に行うことは困難ではない。一例として「明るい北朝鮮」と揶揄される国家的な管理の強いシンガポールの動きが挙げられる。この国でも接触者追跡システムやアプリを政府が採用しており、WHO事務局長はその科学技術を駆使した施策を絶賛していた。しかし2021年に入り、シンガポール警察は収集したデータを犯罪捜査に利用可能とすることを公表している[9]。
日本の社会と教養人に共通していることは、科学技術や政府への明確な根拠に基づかない、感情的でぼんやりとした不信感と思われる。そのため、科学技術が引き起こす社会的課題を理解し、民主主義を守るために共に乗り越える、という行動に至らない無責任さが露呈している。科学技術も民主主義も、漠然としたもの、当然存在するもの、としてしか理解していない。
COCOAだけではない。理化学研究所と富士通が共同開発したと掲げるスーパーコンピュータ「富岳」が性能ランキングで世界1位になったとし、新型コロナウイルス拡散シミュレーションにも大活躍が期待されると話題になった。しかし残念ながら、その頭脳とも言えるCPUについて開発は英国企業と共同であり、しかも製造は日本ですら無い事は一般的には知られていない[10]。またマスクの種類別の咳の飛沫拡散の違い程度をわざわざスーパーコンピュータで行う必然性すらない、ということも理解されていない。またその結果から、どの材料のマスクでもそれなりの効果があるものの「ウレタン製のマスクはだめだ」と過剰反応するという誤った反応をする人々が出る結果にさえなっている[11]。このような科学技術への過大評価もまた、その浅い知見を露呈している。
[1] 教養とは「学問、知識などによって養われた品位。教育、勉学などによって蓄えられた能力、知識」と定義されている(日本国語大辞典, 小学館)。ここではさらに「習得した専門的な研究や経験から得られる複数の知識を一般化し、それを社会全般に広く適用してよりよい社会を目指していく過程」とする。教養人とはそれを行う人である。
[2] Johns Hopkins University , “COVID-19 Data Repository by the Center for Systems Science and Engineering at Johns Hopkins University”, https://www.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6
[3] BBC News,「 新型ウイルス感染の可能性を確認 中国の「濃厚接触」アプリ」, 2020年2月13日. https://www.bbc.com/japanese/51484377 [4] しかしながら、そもそも中国国内向けのスマートフォンには利用情報や位置情報を集め国民を管理できるアプリが実装されている。
[5] BBC News, 「中国の発表は信用できる? 新型ウイルスの「死者はゼロ」」, 2020年4月8日. https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-52210466
[6] 零時政府とも表現される2012年に設立されたシビックテックコミュニティ。例えば、台湾光華雑誌Taiwan Panoraam, 「オープン・ガバメントを追求する g0v零時政府のシビックハッカ」, 2017年8月. https://www.taiwan-panorama.com/ja/Articles/Details?Guid=71c2e863-595c-4b39-849c-c260c0f3e5a0
[7] 日本経済新聞, 「台湾コロナ対策 ITとユーモアがカギ」, 2020年11月6日. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65882860V01C20A1000000/
[8] 国際経済連携推進センター, 「接触確認アプリ COCOA とプライバシー保護についての調査結果」, 令和 2 年 10 月 27 日. https://www.cfiec.jp/jp/pdf/pr/001-2020-10-27-cfiec.pdf
[9] Reuters, "Singapore COVID-19 contact-tracing data accessible to police", January 4, 2021. https://www.reuters.com/article/idUSKBN2990X8
[10] 開発は富士通と英国ARM社(英国)、製造はTSMC社(台湾)。
[11] 一方の中国では、2020年5月頃、高性能で気密性の高いN95マスクを体育時に使用して子どもたちの死亡が相次いでいた。
突っ掛けものの人もたれ (後編)
3.
今回の新型コロナウイルス騒動をみて、2011年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故を思い出した人もいるかもしれない。二つを比較することで見えてくる知見はあるだろうが、両者とも「進行中」のため分析は難しいが ⎻ 福島第一原発事故が終息したと考えている人もいるだろうが、そうではない ⎻ いくつかの視点はある。
2021年1月末、WHO事務局長がすぐに緊急事態宣言をせず、中国を極端に擁護し続けているという世界的な批判があった。しかし原子力の問題を詳しく知る人であれば、例えば1996年の旧ソ連で起こったチェルノブイリ原発事故の健康被害について、WHOは、原子力の「平和的」利用を推進する国際原子力機関IAEAと癒着とも思われる行動をとっていたことを思い出す[12][13]。戦勝国からなる人的・予算的にも肥大化が課題となっているにも関わらず自己改革のできない国連組織において、このような状況はおかしくはない。
また新型コロナウイルス感染症については、医療従事者への偏見や差別が当初は問題となっていた。しかし海外の動きと同様に、現在では社会が応援する雰囲気にはなっている。一方の福島第一原発事故においては、事故直後、通常の許容被曝線量を越えてまで活躍した緊急作業従事者[14]について、海外では勇気ある人々として取り上げられている。しかし国内では、その事実が報道されても社会ではほとんど相手にはされていない。理由は不明だが、何か後ろめたさでもあるのだろうか。
そもそも知見の狭さを示すのに、新型コロナウイルス騒動と原子力政策と結びつける必要もない。エボラ出血熱、鳥インフルエンザや SARSなど過去数十年に発生した新興感染症の研究について、日本国内では対岸の火事と思われていたのか、社会として積極的な関心や研究への支援があったようには見えない。
また現時点では新型コロナウイルスの発生原因は不明であるが、ヒトのウイルスは動物由来であることもあり、自然発生であれ研究所からの流出であれ、いまだ未知のウイルスを多く持つとされる野生動物の扱いを過小評価すべきではなかった。分かりやすい「温暖化問題」についてはブームとなり気候変動枠組条約が一般にも知られる一方[15]、全く同時期につくられた、生態系を守るための生物多様性条約[16]について、日本社会はほとんど相手にしていなかった事実は忘れずに指摘しておきたい。
4.
WHOは2020年6月、新型コロナウイルスによるフェイクニュースの拡散をインフォデミックという造語で問題視した[17]。1350年代前後に発生したペスト流行では、感染症の原因はユダヤ人にあるとして大量虐殺が行われており、情報が引き起こす課題は21世紀でも起こってはいる。ただ、潜在化した差別意識が増幅した点(当時はユダヤ人差別、現在はアジア人差別)は同様かもしれないものの、現在は科学技術により、人間の生物的感覚を超えるグローバルな空間移動や情報拡散が行われており、それによる影響はかなり矮小化されている。
例えば自動車事故を参考に考えよう。これは機械によって人間の生物的感覚を超えた速度で起こる事象であるものの、その制御は機械的なものよりも人間の意思に多くを依存している。痛ましい交通事故の現状を見ると、本当に人間は機械を制御しているとは思えない。
また市民のほとんどの層は、科学技術そのものはもちろん科学的データを十分に理解できていない。図表の読み取り方が分からないため、客観的な分析や予見性も得ることはできない[18]。このように、科学技術を軽く考え、勝手な解釈をして勝手に混乱する状況は、福島第一原発事故でも見られた。もちろん「教養人」自身や、それを祭り上げたマスコミの動きもまたしかり。
私達は、科学技術を使うのではなく科学技術に使われている、という恥ずべき現状について、まずは認識が必要だ。 日本の市民社会は、科学技術や民主主義を浅く狭く、そして軽く扱っている。そして誰かが管理してくれるものであり、かつ存在して当然のものと考えている。その結果、責任の所在が曖昧になり積極的な関与や主体的な改善は、いつまでたっても行われない。
さらに「教養人」は、そのような社会の中で事後になって登場し、自分が手を汚して手に入れる情報もないままに社会を混乱させ、そして逃げる。福島第一原発事故後、我が物顔でエネルギー問題や原発問題をメディアの中で語る教養人に辟易していたが、彼らは予想通り、事故から10年を待たずに消え、場合によっては別な場所で反省もせずに同じことを繰り返している。今回の新型コロナウイルス騒動についてもまた同様なことになるのだろうか。彼らを放置して良いとは思われない。彼らは市民社会に間違ったメッセージを与え、本当の課題に気づく機会をなくしてしまう[19]。
5.
突っ掛けものの人もたれ。これは、無責任な怠け者が物事を人に任せて、その後のことは放置することを意味する。ウイルスのように自分一人では何もできない教養人は、世の中をかき乱してそのまま逃げる。そしてウイルスのように別の形に変異し、再び社会をかき乱す[20]。
専門性のないままに目先の問題に囚われ、本質を見失いその場しのぎで対応するような国は、自分たちの脆弱性を正面から捉えることはできない。そのような国は、たとえ原発事故がなくてもパンデミックがなくても、未来はない。
[12] 例えば、映画「真実はどこに?―WHOとIAEA 放射能汚染を巡って」。
[13] IAEAとWHOとの1959年の協定において、第1条3項には、いずれかの機関が、他方の機関が重大な関 心を持つ場合、必ず前者は後者と協議し調整を図 らなければならない。 Agreement Between the International Atomic Energy Agency and the World Health Organization, 2 April 1959. https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/110055/WHA12_AFL-5_eng.pdf?sequence=1&isAllowed=y.
[14] 政府は福島第一原発事故時、従来定められていた緊急時作業に被曝する限度100mSvを、法令違反にならないように250mSvに引き上げた。この緊急作業従事者は約2万人いるとされているが、彼らの健康影響調査は進んでいない。
[15] そして現在は「脱炭素社会」という言葉をマスコミは流行させようとしている。同様なものとして、国連主導の「SDGs 」(持続可能な開発目標)がある。この目標の中にエネルギー問題が入っているが、上記のWHOとIAEAとの場合と同様、国連は原子力発電を明確に排除していない。UN, SUSTAINABLE DEVELOPMENT GOALS, https://www.un.org/sustainabledevelopment/
[16] 生物多様性条約, 平成30年12月19日 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/jyoyaku/bio.html
[17] WHO, Working together to tackle the “infodemic”, June 29, 2020. https://www.euro.who.int/en/health-topics/Health-systems/digital-health/news/news/2020/6/working-together-to-tackle-the-infodemic
[18] 例えば日本は諸外国と比較して感染者が少ない(だから安心)と報道等で強調されていた。しかしこれは単に検査数が少ないために感染者数が正式に確認されていなかっただけに過ぎない。
[19] 例えばなぜ日本ではg0vができないのか、また、なぜ医療業界を自民党が守ったのか、今回の新型コロナ騒動は多くの課題の存在を示している。
[20] 一方、ニュートンは22歳のときにペストが流行して在学していたケンブリッジ大学が閉鎖となった。そのわずか1年半の間に運動方程式、万有引力、微分方程式等を確立している。例えば『科学者はなぜ神を信じるのか』三田一郎, 講談社(2018).
臆病の神降ろし (前編)
1.
「今日の授業はこれで終わります...。」
試しに数えてみて自分でも驚いた。千回以上は授業を行っているはずなのに、まだ不安が消えない。僕は、学生に上手く講義内容を伝えられているのだろうか?
教えるということは、学生に何かを与えることだと思っていた。しかし現実は、自分は何も知らないという事実を自分に与えてばかり。饒舌に授業をすればするほど自分が不安になっていく。
「あの頃はよかった。」僕は学生の頃に一番思い出に残っている授業を思い出す。数学の授業中に軽い気持ちで教授に質問をしたのだが、その先生は黒板や外を繰り返し見ながら黙り込んでしまった。およそ5分は経過したと思う。既に教室はざわつきを通り越し、先生が口を開くの固唾を呑んで待っていた。そして先生は静かに誠実に一言だけ言った。「分かりません。」僕はその時、この先生は尊敬できると思った。
今の僕はどうだろう。学生のためという理由で、かき集めた情報を限られた時間内に詰め込んで焦り、喋りすぎている。
僕は大学教授に向いているのだろうか...。
2.
AI(Artificial Intelligence, 人工知能)の概念は古くから存在する。日本でいえば戦後からわずか10年後の1956年の夏、アメリカのダートマス会議において提示されたといわれている。
一応、人間は生物学的には知的能力がある。その能力のうち、学習や判断、そして推論などの脳が行う作業について、コンピュータで人工的に再現し活用することがこの研究の目標といえる。近年のIT (Information Technology, 情報技術)の進化により、AI研究において機械学習や深層学習が飛躍的に進んでいる。機械学習とは、短時間に人間が扱うには困難な膨大な量のデータ、いわゆるビッグデータを自動処理または試行錯誤の結果、最適解を自分で見つけるものだ。また深層学習(ディープラーニング)では、人間の脳神経の構造を参考にしたディープニューラルネットワークという技術を用いることで、ビッグデータから効率的に特徴を見出すことが出来る。文字、音声だけでなく画像の認識能力が大幅に向上している。
ビジネス界の動きは早い。IBMによれば、2018年2月現在、ワトソンという名前の有名なAIが日本を含む49ヶ国、25以上の業種で利用されている。例えば大手企業では、顧客管理や採用人事、製造業における故障診断など情報共有の効率化に貢献している。また教育や法律、そして医療分野など比較的専門的な知識が必要な分野ですら、ビッグデータを瞬時に分析して「推論」が効率的に行われている。例えば医療分野では新薬開発、治療方法の早期発見、がん診断の支援が行われている。
日本の総務省は、AIやIoT(Internet of Things, いろんな製品をインターネットでつなげること)により、日本の実質GDPが、2015年の522兆円から2030年には725兆円になるインパクトがあることを示した。これは年平均2.4%の成長率に相当するという[1]―いつものように政府は流行のものを安直に当てはめ、現状の政策の失敗など気まずいことには言及しないが、それはさておき。
このような勢いに対して、社会的な影響を懸念する声もある。英国オックスフォード大学のマイケル・オズボーン等は、2013年にすでに、米国における702業種のうち、将来的には全雇用者の約47%の仕事が「自動化」されるという研究報告を行っている[2]。海外の政府や大学では社会的影響を評価する研究も進んでいる。例えば米国政府は2016年、大学だけではなく民間のNPO(非営利活動団体)も巻き込み議論を行った。その報告書では、政府や運輸省、学校や大学に対してまで、AIと共存するため多くの具体的な提言を行っている[3]。日本政府も2017年にAIの人間社会への影響について報告書をまとめているが、国としての社会的な責任感は見えず様子見に留まっているようだ[4]。
3.
国がこのような状態なのだから、一般市民のAIに対する羨望と畏怖が混乱した現状は当然かもしれない。AI利用に関わる法律や制度づくりも不十分で、いずれAIが人間を支配してしまうのではないかと懸念を持つ人も多い。
現状においては、そのような懸念は杞憂だといえる。例えば、AIについて積極的に発言している米国の哲学者ジョン・サールは、人間の認知能力のシミュレーション研究について2種類のAIを区別している。彼によれば、「弱いAI」(Weak AI) は研究のためのツールにしか過ぎないが、「強いAI」(Strong AI) は単なるツールではなく心を持ち、他の認知状態を理解する[5]。この考えを拡張すれば、現在利用されているAIはまだ前者だといえる。例えばチェスでAIが人間に勝ったからといって、それは人間社会全体に対して最適な知性を示す能力があるわけではない。つまり現在のAIは従来のコンピュータの使い方が変わったものだといってよい。現にIBMも、AIの意味を、人工知能ではなく拡張知能(Augmented Intelligence)―人間の知能を拡張・増強するもの―としてとらえている。
将来についてはどうだろうか。「強いAI」に近いAGI (Artificial General Intelligence, 汎用人工知能) の研究は既に行われているものの、実用化はかなり先のことになりそうだ。しかし米国の未来学者レイ・カーツワイルは、我々の予想する以上にテクノロジー進化は指数関数的に早く進み、その結果、人間を超えた知能が人間の進歩を導く世界が「近い将来」に来ると断言している[6]。
ところで将来の過剰な杞憂は議論されるが、現在の過剰な期待はあまり議論されていないように思える。例えばAIは常に正しい判断を行う、とすぐに考えてしまう人は結構多い。米国では2016年、IBMのワトソンを大統領にするキャンペーンを行う団体が現れた。確かに現在の米国をみればAIにすがる気持ちも分からないわけではないが、この取り組みが一種の皮肉としてではなく本気だったとしたらどうだろうか。まるで神のように過信してそれにすがる態度。AIという名前をつけさえすれば、誰もが思考停止に陥り答えにすがってしまう。
そもそもAIが常に「正しい」側に立つ理由もない。2018年2月、欧米の有名な大学の研究者やNGOが集まり、AIの悪用が引き起こす脅威について警鐘を鳴らす報告書を発表した。犯罪者やテロリストがAIを仲間にして引き起こす犯罪のシナリオなどを多く取り上げている[7]。まあ、テロリストにとってはそれが「正しい」という判断なのだろうが。また、そこまで大規模ではなくても「素性の良くない」、つまり偏った知識を持つよう育てられたAIを使った、個人をターゲットとする詐欺はすぐにありえることかもしれない。
結局、問題視すべきは人間の方なのだろう。そういえば人間からAIに入れ替えることに必死なビジネスの現状を見ると、そもそも彼らは人を道具としてしか見ていなかったのかと思えてしまう。AIよりも人間に怖さを感じるのは僕だけだろうか。
[1] 総務省「情報通信白書 平成29年版」, 平成29年7月.
[2] Carl Benedikt Frey and Michael A. Osborne, Oxford Martin School, University of Oxford, "The Future of Employment: How Susceptible are Jobs to Computerisation?", September 17, 2013.
[3] Executive Office of the President, "Artificial Intelligence, Automation, and the Economy", December 2016.
[4] 内閣府,「人工知能と人間社会に関する懇談会報告書」, 平成29年3月24日.
[5] John Searle, "Minds, brains, and programs", Behavioral and Brain Sciences 3 (3), pp. 417-457 (1980) .
[6] レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」NHK出版 (2007).
[7] Miles Brundage et.al. "The Malicious Use of Artificial Intelligence: Forecasting, Prevention, and Mitigation", February 2018.
臆病の神降ろし (後編)
4.
実はAIの定義や達成目標についてはいまだに混乱がある。これは人間自身の知的能力についていまだ十分な理解や議論が行われていないことにも一因があるかもしれない。AI研究の究極の目標が人間の脳の人工的な完全再現であるとすれば、まずは人間の脳や思考を研究しなければならない。AI研究は一種のリバースエンジニアリング―既存の機械やソフトウェアを分解し、ときには非合法に非公開の情報を得ようとする作業―ともいえる。
そもそも私たちは、人間の知性とは何か理解出来ていない。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、知的な徳(アレテー)の議論の中で、人間の魂が真理を把握する性質として5つを挙げている:知恵(ソフィア)、知性(ヌース)、学問的知識(エピステーメ)、技術(テクネ)、そして思慮深さ(フロネーシス)[8]。彼がAI研究をどう位置づけるのか興味はあるものの、現代人はもっと果敢にこの理解に取り組んでもよいかもしれない。
そしてまた、意識とは何なのか私たちは答えられない。例えばイタリアの神経生理学者であるマルチェッロ・マッスィミーニと米国の精神科医のジュリオ・トノーニは、脳科学の研究を進めれば進めるほど、脳のどこにあるのかつかめない「意識」について、ニューロサイエンス(神経科学)の視点から解明しようとしている[9]。人間の意識について理解しないのに、意識を持つAIの開発を恐れるのは、現時点では確かに早すぎる。
5.
もう一度、なぜ人はAIを恐れるのだろうか考えてみたい。その恐れの背後には「自分が大した人間ではないことが明らかになるから」という思いが隠れていないだろうか。つまりAIを恐れている人は、自分の存在意義、知性のなさを恐れている。
既に1950年の時点で英国の数学者アラン・チューリングは問題提起を行っている。ある人間が、通信機の向こう側にいる機械とやりとりをして、その人間が、相手が機械だと全く気が付かなければ、その機械は考える能力があるといって良いのではないか、という問いだ[10]。
このAIと意識についての思考実験の議論は現在も続いているが、ここでは別な視点を加えてみよう。将来、もしくは既に現代社会においてこの状況が実現しているとすれば、人間のプライドはどうなるのだろう。AIで代替されていく人々は、そもそも人間と思われていなかったことになるのだろうか。それとも、これからはAIが利口になるために私たちは労働をして彼らのために情報を集め、そして彼らのために捨てられるのだろうか。
あまり人間を卑下する必要はないかもしれない。2014年、米国の14才の少女トリーシャ・プラブは、ソーシャル・ネットワーク上で起きるいじめ問題の解決のため、とてもシンプルで即効性の高い解決法を考え大きな効果を上げ続けている。いじめにつながるような投稿をする際、本当にそのメッセージを出すのか、アプリが忠告を行うのだ。これは、未成年が未成熟な脳を持っている―判断を行う前頭皮質が未発達とされている―ことを根拠にもしている。いくら国や大学の研究者達が思索にふけようとも、この子は複雑なAIを使うこともなく、アプリが「人間らしく語りかける」ようにして若者達の命を救えることを示した。
もちろん、青少年によるソーシャルメディアの過剰な依存問題そのものを社会問題として考えることは重要だ。しかし私たちは、現状のようにAIの可能性を論じるのと同程度には、子供や女性の柔軟な思考や潜在的可能性―そして危険な科学から彼らを守るという緊急性―を語っても良いのではないのか。そんな時間なんてない?いや、AIはきっと喜んでたくさん働き、私たちに考える時間を提供してくれるだろう。
先に述べたレイ・カーツワイルは、AIを中心とした未来を語る際、人間とコンピュータとの情報処理のスピードの差を強調する。例えば哺乳類と比較してAIの処理速度は300万倍も早いと。だが少し科学至上主義に過ぎるかもしれない―生まれた時点で世界の勝者を約束された米国白人男性の意見だというのは言い過ぎだろうか。世界中が裕福な社会で、かつ全ての資金と人材を科学に投入できるのであれば、彼の夢は叶うかもしれない。ただ、現在の世界―AIには学んで欲しくはない残酷な世界―を見渡す限り、そんな余裕はなさそうだ。
私たちは、AI研究を通じて「人間として価値のある人間なのかを試されている」ことに気づいている。ビジネス至上主義で、子供や女性の命は後回しにしていることを悟られたくない。だから臆病になるものの、それを認めるのが怖くて、皮肉にもその不安の原因であるAIにすがる。
臆病の神降ろし。これは、大した信心もないのに都合よく神のご加護を唱えることを言う。現代もまた同様なことが起こっているようだ。その存在の本質を忘れ、それにひたすらすがる。
6.
授業に集まる学生は、変な表現だが生物学的AIかもしれない。処理や情報共有を行うスピードはAIにはとうていかなわない。しかしそのスピードにこそ人間には意味があるとしたら?遅いのではなく最適値だとしたら?
どうやら僕は、AIではなく若者の深淵な可能性に対して怖くなっている部分がありそうだ。だからこそ怖れを紛らわすために饒舌になり、加護ではなく授業内容―まあどちらも似たようなものだけど―をばらまいているのだろうか。
けれど学生の可能性を見いだせるのは、教育に携わる身としては悪いことではない。僕の早口で詰め込みすぎの授業を一旦止めてくれる学生が現れることを期待して待っていても良いのだ。
そう考えると、なんだか授業も楽しくなってきた。大学教授も悪くない。
2018年3月
[8] アリストテレス『ニコマス倫理学(下)』光文社古典新訳文庫 (2016).
[9] マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ『意識はいつ生まれるのか』亜紀書房 (2015).
[10] A. M. Turing, "Computing Machinery and Intelligence. Mind" COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE, 49, 433-460 (1950).